テキスト

打ち込み or 手弾き

ソフトシンセを使って何か作品を作るとき、あるテイクにクオンタイズをかけてしまえば、ぴたっとリズムがはまって気持ちいいのだが、どうしても機械的な感じになってしまう。そこで、敢えて手弾きで弾いたテイクを、クオンタイズかけずに使うと、若干人間らしさが表現できる。しかし、ただずれているだけの下手なテイクを使うと変に目立ってしまうので、そのあたりの加減が難しい。 

色々試した結果、クオンタイズかけたテイクとかけない手弾きをミックスするのが両方のいいところを反映でき、良さそうだという結論に至った。

Cubasis

現在の住まいは、音楽制作用のCubase入り自作PCがある部屋と、ピアノがある部屋が別なので、ピアノ音を録音しようと思ったら、Cubaseに直接録音はできず、別の機材を使わなければならない。

そこで役立つのがiPadとそれにインストールしたCubasis。これがなかなか良い。専用のマイクを接続すれば、かなり良い音で録れる。さらには、プロジェクトファイル毎Google Driveにアップロードすれば、自作PCの方にデータを送れ、Cubaseでそのまま立ち上げられるという流れだ。

本当は、Cubase1つで全て済めば良いのだが、何せ大きなPCで持ち運びができないので、モバイル機器とそれに特化した良いDAWが出ているのは、助かる。

貴志康一(1909-37):ヴァイオリン協奏曲 

貴志康一のヴァイオリン協奏曲、ピアノリダクション版制作を行いました。

貴志康一は、戦前のヴァイオリニスト・作曲家です。指揮者としても活動されていたようで、ベルリン・フィルを最初に指揮した日本人とも言われています。30に満たない短い生涯の中で、これだけ幅広い充実した活動をされていたというのは、驚きですね。

今回のヴァイオリン協奏曲は、日本的な音階・和声が印象的で、演奏時間訳40分の大曲です。ヴァイオリン独奏パートはまさに超絶技巧の連続で、かなり聴きごたえがあります。そして今回制作したピアノパートも、技術的に大変充実したものになっています。自分もちょっと頑張って練習しないと、ちゃんと弾けなそうです。。。

因みに貴志康一は、ヴァイオリン協奏曲の他に、歌曲も作曲されています。歌曲もいくつか編曲させて頂いたことがありますが、日本人には親しみやすい和声・旋律・歌詞と高度な技巧が融合した、大変興味深い作風だと思いました。私は編曲を依頼されて知ったのですが、近年、演奏される機会が増えてきているようです。

下記に各種リンクをはっておきます。

 

 

 

メンデルスゾーン《讃歌》

振り返ってみると、TOEICネタとか卓球ネタとか、音楽研究室らしからぬことばかり書いていたので、たまには音楽のことを書きたいと思います。

久々に楽曲解説を担当させて頂きました。大阪シンフォニッククァイアさんの演奏会で演奏された、メンデルスゾーンの《讃歌》です。この曲、《交響曲第2番》として知られ、交響曲の1曲とされているのですが、メンデルスゾーンの他の4曲とは異なり、通常の4楽章構成ではなく、10の楽曲からなる、声楽を伴う交響カンタータです。第1曲が3つの楽章からなる小交響曲、続く第2-10曲がカンタータという異例の構成によるこの曲は、グーテンベルクの印刷技術発明400年を記念する記念祭のため、”書籍の街” ライプツィヒから作品を委嘱されたメンデルスゾーンにより作曲されました。

管弦楽と声楽を融合するというアイデアは、恐らくベートーヴェンの《第九》からインスピレーションを得たものと思われます。作曲家のみならず高名な指揮者でもあったメンデルスゾーンは、当時難解な”現代曲”として知られていた《第九》を指揮し、この曲の演奏史に重要な功績を残しています。さらにはピアノでも演奏し、ヴァイオリンで演奏に参加したこともあるというくらいですから、当時誰よりも《第九》を理解していたといえるでしょう。とはいえ、最終楽章に声楽をもってくるというのではなく、10部分からなるカンタータ的な構成は、メンデルスゾーンならではのものです。

因みに「交響曲」というジャンル分けはメンデルスゾーン自身によるものではなく、出版上の都合だとされています。第2番には元々《イタリア》が割り当てられる予定だったそうなのですが、作品に納得いかなかったメンデルスゾーンは《イタリア》の改訂を行っており、ついには生前には出版しませんでした。メンデルスゾーン最後の交響曲は《スコットランド》で、生前、1842年に「第3番」として出版されています。メンデルスゾーンの死後、全集が出版される際、出版の事情で、元々《イタリア》が割り当てられる予定だった”空白”の「第2番」に、「讃歌」が割り当てられたそうです。

メンデルスゾーンの交響曲は、番号は出版順によるもので、作曲順は一致せず、1(1824)→5《宗教改革》(1830)→4《イタリア》(1833)→2《讃歌》(1840)→3《スコットランド》(1842)となります。《讃歌》も初演後に大幅な改訂を加えていますし、このあたり、自分の作品に厳しくしばしば改訂を加えたメンデルスゾーンならではの事情かと思います。

交響曲、カンタータ、詩篇、礼拝の形式等、作曲家であると同時に敬虔なカトリック信者であったメンデルスゾーンならではの要素が盛り込まれた、「讃歌」の名にふさわしいスケールの大きな感動的な作品です。

録音としては、アバド指揮/ロンドン交響楽団や、ヤニク・ネゼ=セガン指揮/ヨーロッパ室内管弦楽団等、Apple Musicで色々聴けます。それぞれにテンポ感が微妙に異なって、面白いのですが、とりわけ興味深いのは、リッカルド・シャイー指揮/ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によるものです。Apple Musicのサブスクの中には入っていなかったのですが、レンタル落ちの中古を入手できました。通常《讃歌》は、作曲者自身が改訂を加えた、「改訂版」が演奏されるのですが、シャイー版は初版によるもので、いくつかのレチタティーヴォが無い他、メロディーも改訂版とは結構違っており、聴き比べると面白いです。1840年6月のグーテンベルク記念祭での初演では、恐らくこれに近い音楽が響き渡っていたのだろうと想像しながら聴きました。

 

 

勝間和代氏の

 

 

YouTubeチャンネルは面白い。

 

 

 

進化

学生時代から、半ば趣味でTOEICを受けている。選択式回答なので、クイズ的に気軽に受けられる。実際に役に立つか否かは最早どうでも良く、ハイスコアを叩き出すのが面白くて続けている。

先日、遂に自己最高の940を出した。ずっと800台を彷徨っていたので、一気に突き抜けた感じだ。連日英語の勉強をしていた時はあまり結果に繋がらず、直前にストリートファイターVのゲームで軽く遊んだ時に最高記録が出るのだから、不思議なものだ。

人間は何歳でも進化するものだ、と実感した。990もそのうち出せそうな気がしてきた。

ところで、TOEICは、就職、ビジネスに必須という意見がある一方で、簡単すぎるとか、点数を出したところで役に立たないとか言う意見もそれなりに多いように思う。

しかし私の知る限り、990満点取得者でTOEICに否定的な意見を言う人を見たことがない。990取った人は、それを武器に英語を教えたり、本を書いたりするのだろう。

人は結局、自分に有利になる発言しかしないのだ。

自分を客観的に見ること

時の総理大臣が、「私はねえ、自分自身を客観的に見ることはできるんです。あなたとはちがうんです!」と記者に言い放って辞任したことが話題になったことがあるが、自分自身を客観的に見るのは本当に難しい。

先日、趣味の卓球の初心者向け試合に出た。結果は決勝リーグまでは進めたものの、そこで敗退。惜しい試合だった。その試合をスマホで録画したのだが、後から自分で見てみると、何ともひどいフォームで打っている。足は動いていないし、腰も使えておらず、手打ちになっている。自分では、水谷や張本のように打っているつもりなのだが。。

ああいうトップ選手のフォームは恐らく、自分の努力だけでなく、コーチの客観的なアドバイスの元に出来上がっているものなのだろう。自然に見えるトップ選手の美しいフォームは、ある意味自然ではない。

 

 

 

予定通りに偶然に

もう10年以上前のKANさんのアルバム「カンチガイもハナハダしい私の人生」に、ASKAさんとのコラボ曲「予定通りに偶然に」という楽曲があるのだが、これが凄い。久々に聴いて改めてそう思った。

ショパンのバラードの如く、次々と魅力的なフレーズが繰り出されていくし、歌詞はASKAさんの晴天を誉めるなら夕暮れを待て、や、はじまりはいつも雨の歌詞の引用もあり、面白い仕掛けのオンパレード。

楽曲構成は複雑でありながらメロディ自体は至ってポップで親しみやすい。リードボーカルとサイドボーカルという感じでもなく、2人とも対等にそれぞれの持ち味を出して歌いまくる。いやあ、面白い。

YouTubeリンクはっておきます。

オンライン将棋

オンライン将棋で、勝率が著しく上がってきた。時々、息子の将棋教室で、子供にまじって7段の先生に指導対局をして頂いている成果がじわじわと出てきたのかもしれない。

プロ棋士が凄いのは、駒を沢山落としてくれて、制約がものすごくあるはずなのに、メチャクチャ強いこと。初心者からすると、どういう思考をしているのか、訳がわからん。

AIの方が遥かに強くなってしまった将棋の世界だが、依然としてプロ棋士の対局には注目が集まる。妙手はもちろん、ミスも含めて面白いのであって、どんなにAIが進化しようと人間がやることの価値は全く無くならない、ということの好例だろう。

音楽の世界も、そのうち技術的には人間以上の演奏をするロボットが出てくるかもしれないが、ロボットにできない微妙な表現やミスや雑音や呻き声も含めての人間の演奏の魅力は、当分無くならないだろう。

チャールズ・アイヴズ

最近、生活のBGMにチャールズ・アイヴズ(1874-1954)の曲を聴く。アメリカ最初の大作曲家などと言われるが、この人、保険屋さんとして成功を収めており、収入の道があった上で、仕事の合間に作曲活動を続けたとのこと。調性と無調が入り混じった自由な実験的スタイルは、そういう生活面での余裕から生まれたのだろうか。

コロナ禍をきっかけに副業が話題になっているが、アイヴズの活動はまさに保険屋さんの副業みたいなものではないか。生活面に不安なく、クライアントの要求にこたえるなどのストレスもなく自由に創作活動を行い、教科書に載るような作品を残したのだから、ある意味理想といえる。